読む世界史

書き残そう、世界の歴史の物語

No.7(東)パルティアとササン朝の興亡

生徒:先生。もうオリエント飽きてきました。一体いつまで続くんですか…。

 

しま:じゃあもう今日でオリエントは終わり!

 

生徒:やった!気合入れて頑張ります!!!

 

しま:さて前回、アレクサンドロス大王というとんでもない人物がやってきて、アケメネス朝が滅ぼされました…ってところまでやったね?実はこのアレクサンドロス、この後わりとすぐに死んじゃって、アジアの領土にはギリシア系のセレウコス朝シリアという国ができるんだ!

 

生徒:なるほど。つまり、アレクサンドロス大王の部下のセレウコスさんが建てた国というわけですね。

 

しま:その通り。それで、このセレウコス朝シリア[前312年~前63年]からほぼ同時期に2つの国が自立する。ざっくり言うと中央アジアにはギリシア系のバクトリア[前255年~前139年]で、イランがイラン系アルサケス朝パルティア[前248年~後224年]という国だ!

 

生徒:うわー。ややこしいっすね…。

 

しま:とりあえずは、セレウコス朝シリアからパルティアとバクトリアが自立したってこと!バクトリアはすぐに滅んじゃうから覚えることは特に無い。大事なのはパルティアだ!

 

生徒:さっき、アルサケス朝パルティアって言ってましたけど、それって建国者がアルサケスさん…ってことですか?

 

しま:まさしく!で、そのアルサケスという名前にちなみ、中国ではパルティアのことを「安息」と書くんだよ!

 

生徒:え?どうして中国が出てくるんです?もしかして、パルティアと中国に何かしらの接点が?

 

しま:鋭いねー!中国名があるってことは、中国史にも登場してくるってことだもんね!実は中国の後漢[25年~220年]の時代、甘英という人物がローマを目指す途中でこのパルティアを訪れているんだ[97年]!このことは中国の歴史で詳しくやるよ!

 

生徒:後漢から甘英が来朝…っと。はい!他に覚えることはありますか!?

 

しま:そうだね。都はクテシフォン。全世紀の王の名はミトラダテス1世。ローマと抗争した結果、第1回三頭政治のメンバーとして知られるクラッススをカルラエの戦い[前53年]で破ったこと!あとあと、116年には、ローマの五賢帝の1人で、ローマ帝国の最大版図を築いたトラヤヌス帝に、一時期メソポタミアを占領されたことだけ!

 

生徒:覚えることたくさんありますね…

 

しま:ポイントは東西との関係性の中でつかむことかな?これは次の時代、パルティアを滅ぼして登場してくるササン朝[224年~651年]でも同じことが言える!どちらも東西交易路を押さえ、中継貿易により繁栄した国だからね!

 

生徒:あ!ササン朝って、前回勉強したゾロアスター教を国教にした王朝ですね!

 

しま:そう!ササン朝は、王の名前と業績をセットでおさえていくよ!重要な王が3人居る。まず建国者のアルダシール1世。この人が例のゾロアスター教を国教にした人だ。ちなみにゾロアスター教の教典『アヴェスター』が成立するのは4世紀前半頃だよ。

 

生徒:あ、ササン朝の都はパルティアの時と同じでクテシフォンなんですね!

 

しま:さてさて、次の第2代シャープール1世[位241~272年]と、後期のホスロー1世[531年~579年]が重要なんだ。ポイントは東西との関係性の中でおさえること!あと、2人とも負けていないということだ!ササン朝は強かった!では、シャープール1世から見ていこう。まずは東。だいたい250年頃に、インドのクシャーナ朝イラン系)を征服してインドに侵入している。続いて西。ローマの軍人皇帝であるウァレリアヌスという人物を260年のエデッサの戦いで破り、捕虜にしている。どうだ、強いだろ?

 

生徒:すごい!東西どちらにも勝利してる!

 

しま:続いてホスロー1世だ。ホスロー1世は、東では5世紀頃から侵入してきていたエフタルという遊牧民族を、これまた遊牧民族突厥と手を組んで征服している。西ではビザンツ皇帝(=東ローマ皇帝)のユスティニアヌス帝と抗争した結果、有利に和平を結んでいる。まぁ1勝1分といったところかな?

 

生徒:これまた負けなし!というわけですね。このままどんどん勝ち続けて、東西に膨れ上がっていくんじゃないですか!?

 

しま:…と、思っていた矢先だ。ササン朝に新たな敵があらわれる。それがイスラーム軍なんだ。

 

生徒:お!イスラームですか!初登場!

 

しま:イスラームって、成立したのが7世紀前半だから、新しい勢力なんだよ。そして、642年にササン朝はニハーヴァンドの戦いで、ウマル率いるイスラーム軍に大敗し、651年に滅亡する。

 

生徒:恐るべしイスラーム勢力…。って、あれ?滅亡しちゃったってことはこれでササン朝もおしまいですか?

 

しま:そうだね。最後に文化を整理しておこう!3世紀頃に、マニ教という宗教が創始される。教祖がマニさんだからマニ教。ベースはゾロアスター教だから、善神と悪神が戦ってるんだけど、そこで救世主イエスが登場して救済されるっていう展開があったり、そのために極端な禁欲生活を強いたりと、キリスト教と仏教が混じった融合的な宗教なんだ。

 

生徒:あれ?でもゾロアスター教が国教になってるってことは、マニ教は流行しなかったってことですか?

 

しま:流行しないどころか、異端とされ迫害を受けてしまうんだ!迫害された宗教は、新たな土地を探すしかない…。そうしてマニ教は、東方ではウイグル人や唐代の中国へ、西方では、シリアから北アフリカまで伝播したんだよ!

 

生徒:なるほどー。あ、唐代の中国って言うと、遣唐使とかで日本との交流も盛んでしたよね?ってことはもしかしてササン朝から中国経由で日本に伝わってきた文化とかもあるのでは?

 

しま:教科書や図表に載ってるササン朝の水差しと、中国の鳳首瓶(ほうしゅへい)と正倉院宝物の漆胡瓶(しっこへい)は見た目がくりそつっ!これはいずれも6~7世紀の作品と推定されていて、ササン朝文化の東伝をよく示しているよね!

 

生徒:ふーん。なんかイランって遠くの土地な気がするけど、こうやって日本とも繋がってたんですね。

 

しま:ササン朝時代には、鉄器・ガラス・毛織物と言った美術・工芸の分野が大いに発達して次のイスラーム時代へ受け継がれると共に、シルクロードを伝って日本にまで伝えられたということは、しっかりおさえておきましょう…。