読む世界史

書き残そう、世界の歴史の物語

No.20(西)スラヴ人②

しま:前回に引き続き、今日もスラヴ人の歴史を追っていきましょう!ただ、今日は純粋なスラヴ人国家というのは出てきません。

 

生徒:どんどんお願いしまっくす。

 

しま:まず、トルコ系ブルガール人が建てたのがブルガリア王国です!ただ、ブルガール人は大多数の南スラヴ人に同化されていきました。ブルガリア帝国は9世紀に建てられ、いったんビザンツのバシレイオス2世に征服された後、12世紀に復活します。宗教はギリシア正教。こんなとこかな。

 

生徒:宗教をおさえるのがポイントでしたね!

 

しま:その通り!さぁ、いよいよロシアです。ノルマン人のとこで勉強したリューリク率いるルーシ人が建てたノヴゴロド国。さらに南下して建てられたキエフ公国。このキエフ公国のウラディミル1世が、ビザンツ皇帝のバシレイオス2世の妹と結婚したことでギリシア正教が国教化されます。しかし、13世紀に入ると、バトゥの建国したキプチャク゠ハン国の支配下に入る。これを「タタールのくびき」という。タタールとはモンゴルの部族名、くびきは…画像を検索してみてください。

 

生徒:バトゥって、あの1241年のワールシュタットの戦いで、ポーランドを壊滅させたモンゴル人?

 

しま:そうです!そんなキプチャク゠ハン国の中で、次第にモスクワ大公国が力をつけてきます。そしてとうとう1480年、イヴァン3世の時にモスクワ大公国はモンゴル人の支配から独立します!イヴァン3世は、ビザンツ帝国(1453年に滅亡)の最後の皇帝であるコンスタンティノス11世の姪ソフィアと結婚したため、ビザンツ帝国の後継者だと主張します。そして、ビザンツ帝国の都コンスタンティノープルは、ローマを受け継ぐ“第2のローマ”とされていたため、モスクワをそのコンスタンティノープルを受け継ぐという意味で“第3のローマ”と呼ぶようになります。さらにイヴァン3世は、カエサルを意識して自分のことを“ツァーリ”と呼ばせようとします。

 

生徒:さ…さすがにやりすぎでは…

 

しま:この称号は、彼の孫であるイヴァン4世の時に正式に皇帝の称号として使用されるようになります。さて、雷帝のあだ名で知られるイヴァン4世ですが、大貴族を弾圧してツァーリズムと呼ばれる皇帝専制主義の基礎を固めました。しかし、彼は家庭内でも雷帝だったようで、親子ゲンカの末、一人息子を杖で殴り殺してしまいます。

 

生徒:この人もやり過ぎかい!

 

しま:後継者を失ってしまったモスクワ大公国は、これで断絶。あららって感じですね。そこで、選挙によってミハイル゠ロマノフが選ばれ、1613年からロシアはロマノフ朝となっていきます。ロマノフ朝は、この後1917年にロシア革命で滅ぼされるまで、約300年間ロシアの帝政を支えることになります。

 

生徒:そしてソ連に続いていくわけかぁ

 

しま:そういうこと!じゃあ、ラストスパートや!続いてアジア系のマジャール人!9世紀頃、現在のハンガリーに移住してきて、先住のスラヴ人と同化し、10世紀頃ハンガリー王国を形成します。15世紀にはマーチャーシュ1世の時に最盛期を迎える。宗教はカトリック。ちなみにハンガリーのハンは、フン族のことを指してましたよね!

 

生徒:ってことは、この地域はフン人、アヴァール人、そして最後にマジャール人って順番で民族がやってきたんですね。

 

しま:そうなります。よし、じゃあ最後はラテン系のルーマニア人。とは言ってもルーマニアという国は当時ありません。14世紀頃にワラキア公国、モルダヴィア公国が建設されました。宗教はギリシア正教です。もともとここは、五賢帝トラヤヌス帝の時代に領土となった場所。だからローマ人(ラテン系)の土地という意味で、ルーマニアという名前が今も残っているんだよ。最後はオスマン帝国に支配されました。