読む世界史

書き残そう、世界の歴史の物語

No.16(西)ローマ゠カトリック教会の発展

しま:今日から2回は、ローマ゠カトリック教会のお話です。ローマ゠カトリック教会には、教皇を頂点とした聖職者の階級制度があります。これをヒエラルキーといって、確立するのは12世紀頃。国王や貴族から荘園が寄進され、農奴からも十分の一税が集まってくるので、教会には富と権力が集中していきます。

 

生徒:タテ社会なんですね!

 

しま:また、キリスト教徒の修業の場というか、共同生活の場というか学校というか…修道院というものがあります。ここで信徒は祈り、働き、そして布教活動を行うのです。初の修道院ができたのは529年。ベネディクトゥスという人が中部イタリアのモンテ゠カシノに設立しました。ここのモットーは、「祈り、働け」

 

生徒:シンプル!

 

しま:有名な三会則も覚えよう。「清貧」「服従」「貞潔」です。言葉の意味はそれぞれ難しいですが、とにかく「祈り、働け」なんです。

 

生徒:大変そうですね…

 

しま:ではここからはヒエラルキーの頂点に立つ、ローマ教皇の話をしていこう!レオ1世は、451年のカルケドン公会議で神性単性論を異端とし、アタナシウス派を正統として再確認した人。そして、フン人の王アッティラに説教をして、撃退をした教皇ですね。

 

生徒:レオ1世が、史上初の教皇ですか?

 

しま:正式な初のローマ教皇はレオ1世[位440~461]と言われるけど、初代ローマ教皇は、イエス十二使徒のうちの1人、ペテロだと言われることもある。このへんは問題文から判断してください!続いて、グレゴリウス1世[位590~604]は、6世紀末にイングランドアタナシウス派を布教し、ヨーロッパでも指折りの大司教となるカンタベリ教会の設置に貢献した人物。マグニフィセントな業績を残した、あのカール大帝は、アタナシウス派を広めるために、わざわざカンタベリから神学者アルクインを招いていましたよね。そして、800年、政治的なバックアップを必要としていた教皇レオ3世[位795~816]は、フランク国王のカール大帝ローマ皇帝の帝冠を授けて、「西ローマ帝国」の復活を宣言しました。このあたりから教皇の力はどんどん強くなっていきます。さらに、962年には、ヨハネス12世[位955~964]によるオットーへの戴冠で、教皇は新たに神聖ローマ帝国を政治的な後ろ盾としました。

 

生徒:全部、フランク王国の流れの中で勉強した範囲ですね!復習大事。

 

しま:そうそう!そして1054年、キリスト教世界はローマ゠カトリック教会と、ギリシア正教会に完全に分裂します。これを東西教会の分裂と言います。で、ここからは新しい範囲!1077年、ローマ教皇神聖ローマ皇帝が叙任権を巡って衝突します(=叙任権闘争)。教会の聖職者の長を任命する権利である叙任権は、ローマ教皇が持っていましたが、神聖ローマ帝国領内では皇帝ハインリヒ4世が保持していた。そこで、ハインリヒ4世から叙任権を取り返そうとしたのが教皇グレゴリウス7世[位1073~1085]。彼は、聖職売買や、妻帯など、戒律を破る聖職者が増える中で、戒律厳守を掲げて修道院運動の中心となったフランスのクリュニー修道院[910年設立]出身の厳格な人物。しかし、ハインリヒ4世は叙任権をなかなか返そうとしない。そこでグレゴリウス7世は必殺「破門ビーム」を繰り出します!

 

生徒:はっ…破門ビーム…!?

 

しま:当時、キリスト教を破門されるということは、「人間以下の家畜」とみなされるくらい致命的なものでした。英語にすると、excommunicationです。もう関わらないということです。ハインリヒ4世は、諸侯をコントロールできなくなってしまうので、謝るしかありません。皇帝が教皇に謝罪するんです。これが有名なカノッサの屈辱[1077年]だ。

 

生徒:ハインリヒ4世にとって、屈辱だったというわけですね。

 

しま:結局、この叙任権闘争は1122年のヴォルムス協約で、聖職叙任権はローマ教皇保有し、俗権(=土地所有権)は神聖ローマ皇帝が持つという形で決着します。さて、11世紀後半になると、セルジューク朝の圧迫でビザンツ帝国が窮地に立たされる。ビザンツ皇帝アレクシオス1世は、教皇に助けを求めた。さて、キョーコは以前あずま君にフラれた過去がありますから、そう簡単には協力しません。ある条件を提示します。キョーコが出した条件とは、ギリシア正教会がローマ゠カトリック教会の支配下に入ることだった。あずま君はこの条件を飲みます(結局、十字軍の失敗で東西教会の統一は実現しなかった)。こうして、1095年のクレルモン宗教会議で、ウルバヌス2世が国王や諸侯へ呼びかけ、十字軍がスタートします!十字軍の話は、また別のところで…。また、11世紀末にはフランスにシトー修道会という修道会も創立されています!