読む世界史

書き残そう、世界の歴史の物語

No.19(西)スラヴ人①

しま:今回はスラヴ人です!スラヴ人はもともとカルパティア山脈の北側の地域に住んでいましたが、ゲルマン人の奴隷となってゲルマン人と共に移動したグループと、そのまま残ったグループが居ます。東欧一帯に残ったスラヴ人は大きく西スラヴ・南スラヴ・東スラヴの3つに分けられます。このあいだに、スラヴ人じゃないルーマニア人(ラテン系)とか、マジャール人(アジア系)が入ってます。ややこしいね。

 

生徒:ゲルマン人の奴隷かー…。はっ!もしかして!!!奴隷を意味する英単語のslaveって「スラヴ」から来てますか!?

 

しま:そうです!さて、スラヴ人はみんな同じ宗教かと言うとそうじゃありません。ビザンツ帝国に近い東スラヴと南スラヴの一部はギリシア正教。文字はキリル文字というギリシア文字を変形させたものです。一方、西スラヴは、フランク王国神聖ローマ帝国の影響を受けているのでローマ゠カトリックを信仰しています。文字はラテン文字スラヴ人の中でも試験でよく出題されるのは、ポーランドセルビア・ロシアかな。

 

生徒:じゃあポーランドからお願いします!

 

しま:西スラヴに分類されるポーランド人は、10世紀にピアスト朝ポーランド王国を建てて、ローマ゠カトリックを受容します。しかし、これが1241~1242年に起きたワールシュタットの戦いでボロボロになる。この時代はモンゴルの全盛期。バトゥの遠征軍によって、ポーランド壊滅です。ちなみにワールシュタットは「死体の山」という意味。場所の名前からリーグニッツの戦いとも言うのでご注意を。

 

生徒:バトゥ率いるモンゴル軍はめちゃくちゃ強かったわけですね…。

 

しま:まもなくしてカジミェシュ大王(3世)が登場し、クラクフ大学を建てるなど国の立て直しを図りますが、今度は北方から現れた新しい敵の圧迫を受けることになります。

 

生徒:何者ですか!?

 

しま:十字軍の遠征が終わってドイツに戻って来たドイツ騎士団です。彼らは神聖ローマ皇帝の命令を受け、ポーランドをはじめとするスラヴ人地域の征服…すなわち”東方植民”を行っていました。そこでポーランドは、同じくスラヴ系のリトアニア人と手を組み、リトアニアポーランド王国(ヤギェウォ朝)を成立させます。そして、1410年タンネンベルクの戦いドイツ騎士団を撃破!敗れたドイツ騎士団は、ヤギェウォ朝の諸侯となります。

 

生徒:ヤギェウォ朝の断絶後は、選挙王政になるのですね。

 

しま:その通り!さて、続きましてチェック人は西スラヴでカトリックスロヴェニア人とクロアティア人は、南スラヴでカトリック。で、セルビア人よ。ここはギリシア正教なんです。14世紀前半のステファン゠ドゥシャン王の時にはバルカン半島北部を征服して一大国家を築きますが、14世紀末にオスマン帝国に負けてほとんどの領土を取られてしまいました。これは、セルビア人にとって非常に屈辱的な事件でした。

 

生徒:そんなにですか?

 

しま:1389年、コソヴォの戦いが行われた6月28日は、セルビア人にとって国恥記念日となっています。

 

生徒:国恥記念日!すごい記念日ですね!

 

しま:記念日には何かが起こるものですよね…オーストリアハンガリー帝国の皇位継承者の夫妻が、サライェヴォ(当時はオーストリア領、現ボスニア・ヘルツェゴヴィナ領)を視察中にボスニア出身のセルビア人青年によって暗殺された事件が起こったのも、6月28日のこと。

 

生徒:まさか!サライェヴォ事件!!!

 

しま:そう。1914年、第一次世界大戦の始まりですよね。あの日は偶然ではなかったのです。