No.15(西)ノルマン人の活動
しま:今回勉強するのはノルマン人です!彼らは北方ゲルマン人。ゲルマン人と言えば375年にフン人に圧迫された西ゴート人が、ドナウ川を越えたのをきっかけに、大移動してローマ領内に侵入してきた民族だったよね。今回勉強するノルマン人は、8世紀~11世紀にかけて大移動をする!つまり彼らは“のろまなゲルマン人”!
生徒:のろまなゲルマン…のろ…まん…そっか、だからノルマンっ!
しま:いや違うよ!!そんなノルマン人の原住地は、デンマークのあるユトランド半島や、ノルウェーやスウェーデンのあるスカンディナヴィア半島。ここはしっかり地図で確認しておこうね。
生徒:いわゆる、北欧ですね。
しま:そ。彼らの暮らしは交易中心。時には、海賊行為をはたらいて生活を維持していた。ちなみに、ヴァイキングって知ってる?
生徒:なんて日だ!それたぶんiPhoneじゃないねぇ!
しま:お笑い芸人じゃなくて、ヴァイキングってのは、ノルマン人の別名なんだ。
生徒:日本語に訳すと“食べ放題”ですか?
しま:違うよ!もともとヴァイキングの意味は“入り江の民”。彼らの船は吃水が浅くて浅瀬に入りやすい。そこで彼らは川を上ってきて食べ物を奪い、穀物の種を奪い、船に持ち帰っていった。だから、日本ではヴァイキング=海賊ってイメージが強いのかもね。では、そんなヴァイキングたちの移動をみていこう!まず、原住地にデンマーク・ノルウェー・スウェーデンを建国する。これがだいたい8~10世紀。そして、862年にはリューリク率いるルーシ人が南下して、ノヴゴロド国を建国する。ちなみにルーシというのは、ノルマン人に対するスラヴ人からみた呼称で、これが現在の「ロシア」の語源になっている。そんなノヴゴロド国が南下して882年にキエフ公国が建国される。
生徒:ばっちりです!
しま:で!次からがとっても大事だからしっかり地図を見ながら確認しよう!まず911年、ノルマン人の首長ロロが北フランスに侵入した。これに対して西フランク王は、諸侯として認めることで封じ込めようとした。これがノルマンディー公国になる。
生徒:今も北フランスにノルマンディーって地名ありますよね。
しま:よく知ってるね!この後、このノルマンディー公国から有名な人物が出てくるよ!…っとその前に、ブリテン島の様子を見ておこう。ここは、ゲルマン人のうち、なんという部族がやってきていた?
生徒:はい!アングロ゠サクソン人ですよね!?で、七王国(ヘプターキー)があった!
しま:そうだね。七つの王国があったわけだけど、そのうちのウェセックスという国の王、エグバートによって統一され、イングランド王国になるんだ。829年のこと。ただ、たびたびノルマン人の侵入に悩まされる。9世紀末にはデーン人がやってくるんだけど、これはアルフレッド大王が撃退!!でも、1016年にデーン人の王子クヌートがやってきて、いよいよイングランドを征服する。これがデーン朝!そしてクヌートはデンマーク王となり、ノルウェーも支配して「北海帝国」を築き上げるんだ。ほら、北海を三角形に囲んでいるでしょ?
生徒:だから、「北海帝国」なんですね!
しま:そういうこと。ただ、デーン朝も長くは続かず、一時アングロ゠サクソン人の王朝が復活する。そして1066年、さっき北フランスにできたノルマンディー公国から、ノルマンディー公ウィリアムがイングランドに侵入してくるんだ!この戦いのことをヘースティングズの戦いと言う。
生徒:結果どうなったんですか?
しま:ウィリアムが勝利し、ウィリアム1世としてノルマン朝を創始するんだ。これをノルマン゠コンクェストと言う!つまりこの時点で、フランスの諸侯がイングランド王をやってることになる。なんか不思議な感じだよね。
生徒:ですね。
しま:そして最後に、おまけの両シチリア王国。これは、イスラーム勢力と戦ってローマ教皇からの支持を得たノルマンディー公国の騎士、ルッジェーロ2世が、ナポリとシチリア島を領有する形で1130年に建国しました。
生徒:ん?ルッジェーロ2世ってもしかして、イスラーム文化で勉強した、イドリーシーに世界地図を書くように依頼したっていう、あのルッジェーロ2世?
しま:そうです!