読む世界史

書き残そう、世界の歴史の物語

No.14(西)分裂するフランク王国

しま:偉大なるカール大帝の息子、それがルートヴィヒ1世。そのルートヴィヒ1世には子どもがいた。カール大帝の孫ですね。長男がロタール1世、三男がルートヴィヒ2世、四男がシャルル2世。それぞれきちんとフランク王国の土地を相続しました。これが843年のヴェルダン条約です。では、分割相続が行われた後のカロリング朝を見ていくことにしましょう!

 

生徒:はい!まず長男からお願いします!

 

しま:長男が継いだのが中部フランク。ここが一番重要な土地だ。ただ、ロタール1世の死後、メルセン条約で東フランクと西フランクに圧迫されるような形で領土が縮小してしまう。カロリング朝も最も早く875年に途絶えてしまいます。その後も、たびたび東フランクが支配を試みようとちょっかいを出してきます。以上。

 

生徒:あっさり!次は次男!

 

しま:次男が継いだのが東フランクね。こちらも911年にカロリング朝が途絶える。すると、新たにザクセン朝がハインリヒ1世によって創始されます。その2人目の王であるオットー1世がすごかった。レヒフェルトの戦いでアジア系のマジャール人を撃退し、イタリア遠征ではスラヴ人を倒している!これはローマ教皇としては非常に頼もしいですよね!そこで、このオットー1世にあの“例の冠”をかぶせるのです。

 

生徒:かつての西ローマ皇帝位ですね!

 

しま:その通り!それが962年のこと。かぶせた教皇ヨハネス12世。ここに神聖ローマ帝国の誕生です!

 

生徒:あれ?神聖ローマ帝国が解体されるのって、確か1806年のナポレオンのライン同盟結成の時でしたよね?

 

しま:素晴らしい。まさにそれです!最後に、四男が継いだのが西フランク王国。ここが最もカロリング朝が長生きして987年まで。断絶後は、ノルマン人の侵攻を撃退したことで名声をあげていたパリ伯のユーグ゠カペーが即位し、カペー朝を始めます。ただし、この王朝の弱いところは選挙王政だというところ。みんなで王様を決めているから、王様は威張れないんですよ。以上!