読む世界史

書き残そう、世界の歴史の物語

歴史総合No.12~ロシアの近代化と南下政策~

しま:今日はとことんロシアです!ツァーリズムと称される皇帝の業績を追っていきましょう。

 

生徒:あれ?今回のテストに出てくる皇帝の名前はアレクサンドル2世だけだって、先生授業で言ってましたよね?

 

しま:え?授業?いや、これが授業だけど?今俺喋ってるじゃん。

 

生徒:ややこしいですね。もういいですよ。どうぞ、お好きに。

 

しま:まず、アレクサンドル1世だ。この人はナポレオン1世のロシア(モスクワ)遠征を撃退したり、神聖同盟を提唱したすごい人。そんな皇帝が急逝したタイミングで、デカブリスト(=十二月党員)の乱が起きた。

 

生徒:デカブリストとは何者ですか?

 

しま:ナポレオンと直接対戦したロシアの青年将校(軍人)たちです。彼らはナポレオン軍と出逢い、フランスの「自由と平等」を肌で感じていた。自由の強さを知っていたんです。皇帝による専制政治ツァーリズム)の打破と農奴解放を目指しましたが、即位直後のニコライ1世により、この乱は鎮圧されてしまう。ところで君はお兄さんがめちゃくちゃかっこよくて優秀だったらどう思う?誇りに思う?…思うかなーーー?言われるよ?

 

「お兄さんはあんなにすごかったのに。」って。

 

生徒:「俺は…俺は兄さんとは違うんだ!!!」と言いたくなりそうですね。

 

しま:そう。それが弟の本音です!

 

しま:アレクサンドル1世の弟のニコライ1世はお兄さんを越えたい。そこで、軍隊にバシャバシャお金をかけます。で、1853年に満を持してクリミア戦争に突入。戦争開始の口実は?

 

生徒:ギリシア正教徒の保護!

 

しま:本音は?

 

生徒:黒海から地中海へ抜ける通商路の確保!

 

しま:完璧だ。この戦争、ロシアは全く勝てなかった…。セヴァストーポリ要塞という、ロシア最大の軍事拠点もあっという間に陥落です。これがあまりにショックで…ニコライ1世死んじゃうんだよ。自殺だと言われてる。次の皇帝は戦争の敗北が決定している中で帝位につく。それが今日の主役、アレクサンドル2世です!

 

生徒:おっ!てことはここからがいよいよ本題ですね!

 

しま:クリミア戦争の結果はロシアの大敗。そりゃ勝てないですよ。だって産業革命やってないんだもん。工業力に差があり過ぎ。物資の輸送も馬車対鉄道。さぁ、復習です。産業革命をやる上で必要な要素はなんだった?

 

生徒:資本と市場と労働力!

 

しま:そうだね。当時のロシアは世界で3番目に人口が多かった。でも、その8割が農奴(農業奴隷)なんです。彼らは土地に縛られていてる。彼らが労働力にならなければ、ロシアの近代化はほど遠い!

 

船を曳く農奴

生徒:じゃあ、とりあえず農奴の解放ですね!

 

しま:そこでアレクサンドル2世は、1861年に「農奴解放令」を発布した。

 

農奴解放令

 

しま:しかしこれはあくまでも上からの“人的解放”だった。身分は奴隷じゃなくなったよ。でも、生きていくためには住む土地が無いといけない。その土地は、地主から地代の何十倍ものお金を払って買い取らなきゃいけない。けど、そんなお金を持っていたらそもそも農奴なんかやって無いよ。結局、この改革は不徹底に終わるんだ。

 

生徒:このままじゃロシアはダメだってわかってる人も居たわけですよね?

 

しま:もちろん。都市知識人たちです!

 

生徒:インテリ!カッコイイ!

 

しま:ロシア語でインテリゲンツィアと呼ばれる彼らの一部が行動を起こした。それがナロードニキ運動。よし、ちょっとやってみよう。俺はインテリゲンツィアだ。

 

生徒:いや、先生、自分でインテリっていうのはきついです。

 

しま:例えだから!!!わかりやすくするためにやってんの!はい、俺がインテリ!

 

 

コンコン…(ノックする音)

 

ガチャ…(扉がひらく音)

 

生徒’(農民):「だ…だれですか?」

 

しま(インテリ):「あ、どうも、私はインテリです!ほら、武器持って!レッツ、革命!」

 

生徒(農民):(えっ、何この人…)

 

しま:戸惑うよな!しかも当時の農民の識字率、たったの20%ですよ。いきなり革命なんて言われても「ハイ?」って感じで、伝わらないですよ!普通に逮捕されます。この運動は失敗だね。

 

ナロードニキの逮捕

 

生徒:ん、待ってください。インテリゲンツイアとナロードニキって違うんですか??

 

しま:インテリゲンツイアは大きな枠組みで、都市知識人のことを指す。ナロードニキは、日本語に訳すと”人民主義者”で、“ヴ=ナロード”(=「人民の中へ」)をスローガンに掲げて、農村に入っていった活動家たちがナロードニキです。

 

生徒:そういうことか!

 

しま:さて、頭が良い人ほど、挫折すると変な方向に走りがち。それがアナーキズム(=無政府主義)…政府なんていらないんだ!という主張だったり、ニヒリズム(=虚無主義)…世の中なんていらないんだ!という主張だったり。…それがさらに過激になると…テロリズムだ!!!

 

生徒:暴力や暗殺によって政治的主張を通そうとするわけですね。

 

しま:その通り。結局、アレクサンドル2世はテロリストによって1881年に暗殺されてしまいました。

 

アレクサンドル2世の暗殺

生徒:そういえば、南下政策ってどうなったんでしたっけ?なんていうか、ロシアって海にこだわり過ぎじゃないです?僕から言わせてもらうと、陸で行った方がいいと思うんですけど。

 

しま:さすが!ロシアもクリミア戦争の敗北から20年の間に同じようなことを考えました。1877年、バルカン半島スラヴ人の反乱を利用して、ロシアはオスマン帝国とタイマン勝負に打って出た!それがロシア゠トルコ(露土)戦争だ!まだ、アレクサンドル2世[在位1855~1881]が暗殺される前だね!

 

生徒:結果は!?

 

しま:ロシアの勝利。1878年、サン゠ステファノ条約の締結です。これにより、ルーマニアセルビア・モンテネグロの独立が承認され、ブルガリア自治公国が成立した。地図で確認してみよう。

 

サン゠ステファノ条約

 

しま:まず、ロシアはルーマニアを通る。そしてブルガリアを通る…どっちもロシアのおかげでオスマン帝国から独立したり、自治を獲得しているわけだから「ロシアさん、どうぞ通ってください。」ですよ!ほら、地中海(エーゲ海)に辿り着いちゃった

 

生徒:本当だ!南下政策成功だ!ばんざーい!

 

ガシッ!(手をつかむ音)

 

生徒:ひぃ!

 

しま:ところが、これを黙って見てない国があった。イギリスやオーストリアだ。特にオーストリアは、ロシアのパン゠スラヴ主義と対立する、パン゠ゲルマン主義なので、スラヴ人バルカン半島で勢力を拡大させていくことに歯止めをかけたいと思っていた。このままいけばイギリス&オーストリアvsロシアの戦争が起こりますよ。そんな時…自ら「誠実な仲介人」と称する人物が登場してきた!

 

生徒:怪しい!自分で誠実とか言っちゃう男が一番怪しい!!!

 

しま:それが、ビスマルクだ!彼は、できたばかりのドイツ帝国の安定のため周辺諸国のもめごとに巻き込まれるのを避けたかった。そこで1878年にベルリン会議を主催し、ベルリン条約を締結します。その内容は、ブルガリアの領土縮小、イギリスのキプロス島獲得、オーストリアボスニア・ヘルツェゴヴィナ管理権獲得だった。

 

生徒:ほら、やっぱりロシアに不利じゃないですか!誠実じゃない!

 

しま:そうなんだよね。ブルガリアの領土が縮小されたことで、ロシアは海までたどり着けなくなってしまいます。これで南下政策は挫折。で、暗殺されたアレクサンドル2世の後を継いだ息子のアレクサンドル3世は、シベリア鉄道を着工した。南下政策に挫折したロシアは、東方への進出を企てたわけです!東へ東へ…中国を通り朝鮮半島を通り…その先にあるのは…

 

生徒:JAPAN!

 

しま:そういうこと。そして、ニコライ2世の時に、日露戦争がはじまってしまうわけです。以上!ロシアはここまで。