読む世界史

書き残そう、世界の歴史の物語

No.5(西)ペリクレス時代とポリスの変容

しま:アテネの「民主政」と言うのは、今の日本の民主政とは全く違うから注意が必要です!

 

生徒:えっと、サラミスの海戦で無産市民が三段櫂船の漕ぎ手として活躍したことによって、アテネの民主政が完成するんでしたよね!

 

しま:そう!アテネの民主政が完成した時期をペリクレス時代[前443~前429年]と呼んでいます。このペリクレスさん、あとで詳しく説明するけど、軍隊の将軍です。さ、そんなアテネの民主政ですが、国政の最高機関は民会です。まずはこの民会のポイントをおさえよう!

 

◎民会

…18歳以上の男子市民全員参加による最高議決機関。多数決(=直接民主政)

 

だいたい1週間に1回、アゴラにぞろぞろと集まってきて議論をしたわけです。しかし、なんせ人数が多いですから、自分の主張をどうやってみんなに聞いてもらうか!ってところが重要になってくるよね。のちにアテネで弁論術が発展して、職業教師(ソフィスト)が活躍するのにはこういった背景があるわけです。あ、ちなみに今の日本は、間接民主政ね。

 

生徒:あれ、先生。“男子”と、わざわざ書いてあるということは、女性には参政権が無かったんですか?

 

しま:そうなんだ。民主政と言っても、女性、奴隷、在留外人(=メトイコイ)には参政権が無かった。これは今の民主政とは大きく違うね!

 

生徒:えっと…じゃあ、総理大臣とか、なんとか大臣はどうやって決めていたんですか?

 

しま:抽選。

 

生徒:え!?抽選!?じゃあ、もしくじ引きに当たったら誰でも総理大臣をやる!ってことですか?

 

しま:そういうこと。これも今の世の中じゃ考えられないよね。仕事が難しすぎるから。でも当時の役人は抽選。任期は一年。まぁある意味平等だよね。

 

生徒:でも、人には適材適所があると思います!経済に詳しい人が居たり、教育に詳しい人が居たり…それぞれその分野の専門性に長けている人を選んだ方が絶対いいと思います!

 

しま:当時は、そこまで社会の仕組みが複雑じゃ無かったんだよ。だから抽選で、誰が選ばれても何とかなった。ただし!!!一つだけ例外があった。

 

生徒:お、出た例外!例外は入試のポイントですよね!

 

しま:例外だったのは、軍隊の将軍です!戦争の指揮は誰でも出来るものじゃない。判断力、行動力、それに人望だって必要です。ましてや、戦争での敗北は、国家の存亡に直に関わってきますから。だから将軍だけは、しっかり選挙で決めていた。さっき言ったペリクレスさんは、この将軍職に15年も連続で選ばれている。他は1年で交代だから、実質アテネの指導者はペリクレスってことになるよね。

 

生徒:なるほど。

 

しま:さて!民主政の話はこれくらいにして、後半はポリスの変容を追っていこう!ペリクレス時代のアテネギリシアポリスのリーダーだった。アテネは、デロス同盟の盟主として、ポリスに指示をする立場にあったわけ。ところが、なんとペルシアの復讐に備えて集めていたデロス同盟の軍資金を、勝手に使っちゃうんです!パルテノン神殿の再建のために。

 

生徒:えぇぇ!!!そんなことしたら他のポリスの反感買っちゃいますよ!特にライバルのスパルタなんて、黙ってないんじゃないですか!?

 

しま:その通り。アテネを盟主とするデロス同盟対スパルタを盟主とするペロポネソス同盟によるペロポネソス戦争が前431年に起きるんだ。これはギリシアの内乱だね!

 

生徒:で!どっちが勝ったんですか!?

 

しま:スパルタが勝った。戦争中にアテネで疫病が流行って、将軍ペリクレスが死んでしまい、リーダーを失ったアテネは混乱して、デマゴーゴス(=扇動政治家)と呼ばれる目先の利害にとらわれた場当たり的な政策を取る政治家が続出していたんだ。

 

生徒:せっかく民主政が完成したと思ったのに、ペロポネソス戦争で一気に衆愚政というわけですか!

 

しま:ただ、スパルタの時代も長くは続かなかった。前371年、今度はスパルタ対テーベの戦争が起こって、テーベが勝つ。これがレウクトラの戦い。テーベの将軍はエパメイノンダスです。この人も覚えましょう。

 

生徒:先生…さっきからギリシア内で戦争をやってるみたいですけど、大丈夫ですか?土地が荒廃しちゃったら農業もままならなくなりますよね?ただでさえ、ギリシアはブドウとかオリーブが中心で、あんまり生産性が良くないのに…

 

しま:そうなんだよ。収穫ができなければ収入は無い。収入が無ければ土地を売るしかない…そうすると、もう自分で武器を揃えて重装歩兵!なんて言ってられなくなります。民主政の堕落…まさに、衆愚政なんです。

 

生徒:しま先生…こんな時にペルシアに攻められたりでもしたら…もう…終わりですよね…

 

しま:それなら大丈夫!アケメネス朝ペルシアが滅亡したのは「さんさんと燃えるペルセポリス」で、前330年だったでしょ?同じ頃ペルシアも衰退してきてるわけだから、ペルシアに攻め込まれる心配は無いよ!

 

生徒:なーーーんだ。良かった!

 

しま:ま、アケメネス朝よりも強い敵が北からやってきたんだけどね。

 

生徒:え。

 

しま:その国の名前はマケドニア。国王フィリッポス2世という人物によって軍事力を強化し、前338年に満を持してギリシアに攻め込んできます!その名もカイロネイアの戦い!ちなみにギリシア側の主力はさっき勝ったテーベと、復興してきたアテネの連合軍でした。

 

生徒:どひゃーーん!内乱やってるうちに新たな敵ができてたんですね!アテネ・テーベ連合軍には、勝ち目は無さそう…。

 

しま:そうなんだ。結局フィリッポス2世率いるマケドニアが、カイロネイアの戦いで勝利する。そして負けたギリシア側とコリントス(=ヘラス)同盟を結成する。盟主はマケドニアだ。各ポリスの自由自治や相互不可侵を定めて、余計な揉め事が起こらないようにした。ちなみにこの同盟には“スパルタだけが参加していなかった”ってのもポイントだよ!

 

生徒:どうしてスパルタだけ参加しなかったんです??

 

しま:それは、スパルタがスパルタであるからかな。敵国と同盟するなんて考えられなかったんだろ思うよ。This is スパルタ。