No.15(発展)アラブ帝国
しま:632年、ムハンマドが亡くなると、正統カリフ時代[632~661年]が始まります。これは、「ムスリムの合意で選ばれた神の使徒の代理人」の時代ということ。あくまでカリフは、預言者の“代理人”です。
しま:正統カリフの4人は覚えてください!
1)<アブー゠バクル>
…初代。
2)<ウマル>
…エジプトやシリアをビザンツ帝国から奪取し、642年にはササン朝ペルシアをニハーヴァンドの戦いで破った。征服者ウマルとも。
3)<ウスマーン>
…この人の時、『クルアーン』が現在の形にまとめられた。
4)<アリー>
…最後の正統カリフ。旧部下に暗殺される。
生徒:ウマル強いっすね。こういう戦いのことを“聖戦”(=ジハード)っていうんでしたよね。で、征服した各地には軍営都市(=ミスル)を設置して、新たなジハードの拠点にする、と。
しま:そうそう。ササン朝はこの後651年に滅亡していることも知っておこう!で、問題は最後のアリーなんです。この人、何者かによって暗殺された。さて、ここで家系図を見てみよう!クライシュ族には大きくウマイヤ家とハーシム家という二つの家系があって、ケンカばかりしていた。実はウマイヤ家のウスマーンは、ハーシム家の人間によって殺されている。そして、アリーはムハンマドと同じハーシム家の血筋…というかアリーはムハンマドのいとこね。しかも、ムハンマドの娘であるファーティマの旦那さんでもある。いとこでありながら娘婿ね。で、このアリーアはものすごく良い人で、ハーシム家とウマイヤ家を仲直りさせたいと思っていた。そして、何者かによって暗殺された。
生徒:ははーん…犯人はウマイヤ家の人間で間違いないですね!
しま:ところがどっこい、どうもウマイヤ家の人間では無さそうだった。
生徒:え!?まさかアリーは、同じハーシム家の人間によって暗殺された!?
しま:世界史ではよくあることなんだよ。敵対する勢力に歩み寄ろうとした結果”裏切者”というレッテルを貼られ、味方に殺されてしまう…。ガンディーを暗殺したのがヒンドゥー教徒だったようにね。
生徒:なんだか悲しい…。
しま:アリーを殺したのはハワーリジュ派と呼ばれる急進勢力でした。これでアラブ世界は大混乱。そこで、とりあえずカリフにはシリア総督のムアーウィヤが就いた。社会が混乱した時、軍人がトップに立つのも世界史ではよくあること。
生徒:なるほど。だからウマイヤ朝の都は今のシリアの首都のダマスクスってわけか…って、あれ!?ウマイヤ朝!?王朝になってる!
しま:その通り。「王朝」ということは、ムアーウィヤは次のカリフを世襲によって息子に継がせたわけだ。これにはハーシム家の人間は不満だよ。特に、アリーとその子孫を正統なカリフと認めて支持する党派は、のちに(シーア派)と呼ばれ、多数派のスンナ派と対立するようになった。
生徒:シーア派というのはアリーを支持する党派という意味なんですね!
しま:さて、ウマイヤ朝は5代のアブド゠アルマリクの時にアラビア語を公用化したり、ディナール金貨やディルハム銀貨を鋳造した。そして何といっても、聖地イェルサレムに、岩のドームを造営したことを忘れてはならない!
生徒:出た!岩のドーム!資料集で見たことあります!ムハンマドが昇天した岩を覆ってるんですよね!?
しま:それです。昇天ってのは、死んじゃったってことじゃなくて、天使に導かれて神と出会ったってことね。さて、ウマイヤ朝は6代のワリード1世[位705~715]で最大版図を実現します。東は、ソグディアナ地方・シンド地方までいってるし、西は、711年にイベリア半島の西ゴート王国を征服しています。でも…
生徒:でも?
しま:その後、さらにピレネー山脈を超えヨーロッパへ進出しようとしたところで負けてしまうんだ。それが732年のトゥール・ポワティエ間の戦い。相手はフランク王国の宮宰<カール゠マルテル>。歴史に”もしも”は無いけれど、もしもこの戦いでウマイヤ朝が勝っていたら…
生徒:先生が結婚できていたかも。
しま:ドカッ!