読む世界史

書き残そう、世界の歴史の物語

No.18(東)新と後漢

しま:武帝の死後、前漢の政治は乱れ、宮廷では権力闘争が盛んになります。その主役は外戚でした。そしてとうとう外戚の王莽(大じゃなく犬)さんが皇帝になるんです。それが新[8~23年]!

 

生徒:また新かよ!あ、でも漢字が違う!

 

しま:都は前漢と変わらずの長安です。そりゃーそう。ただ、この新。“新しい”って書くくせに、理想としたのは西周の時代なんだ。

 

生徒:え!?西周!?もう1000年も前じゃないっすか!

 

しま:そうなんだよ。今の日本で言ったら「はい、じゃあ明日から平安時代のような暮らしをしましょーね!まろまろー!」って言っているようなもの。明らかに現実離れしてるんです。しかも、占いに基づいてここの家とここの家は相性が悪いから引っ越しなさい!とか言われる。で、結局農民の反乱が起こり、たった15年で幕を閉じます。

 

生徒:18年~27年の赤眉の乱ですね!でもなんでまた眉毛を赤く染めたんです?

 

しま:赤ってのは漢王朝のカラーなんです!つまり、もう一度漢の復興を!ってこと。先導したのは農民でした。

 

生徒:なるほど。それで再び漢になったから後漢[25~220年]というわけですね!建国者は劉秀さんか。あ、やっぱり劉さん!

 

しま:ただ、この後漢っていうのは、豪族をリーダーとした豪族たちの協力で成り立つ豪族連合政権だから皇帝の力は強くない。さぁ、後漢の歴史を見ていこう!

 

生徒:あ、この金ぴかの印鑑みたいなの中学校の時に資料集で見たことあります!金印…でしたっけ?

 

しま:そう金印!これは57年に光武帝が「漢委奴国王」に授けたものだという記録が『後漢書』に残されているよ。さて、西に目を向けると91年、和帝という皇帝の時に班超という人物が西域都護に任命されている。西域都護っていうのは読んで字のごとく西域の運営を任されている人のこと。で、この班超は大秦(ローマ)へ向けて、甘英という人物を派遣するんだ。97年のこと!でも、結局甘英はパルティアの人に「今ローマは大荒れだから行かない方がいいよ。航海も危険だし!」みたいなことを言われてUターンしてきちゃう。これ、明らかにおかしいよね?

 

生徒:え?…あ!97年って言ったら五賢帝時代[96~180年]が始まったばかりじゃないですか!?ってことはローマは平和だったはず!パルティア人は嘘ついてますよ!

 

しま:そうなんだ!嘘をついた理由は、後漢とローマがマリン゠ルートを使って直接交易するのを避けるためだったとか!まぁ、いろいろ言われています!あ、ちなみに班超のお兄さんは班固って言うんだけど、『漢書』という前漢の歴史書を書き残した人。

 

生徒:はい先生!逆にローマから中国へやって来た人は居ないんですか?

 

しま:居ーるーよ!166年、大秦王安敦の使者が最南端の日南郡へやってきたという記録が残されている!しっかり覚えておこう。さて!そんな矢先“党錮の禁”が起きる!166年と169年の2回ね!

 

生徒:党錮の禁とは?

 

しま:宦官が、儒学者官僚を政界から追放した事件のこと!宦官というのは、去勢された男性のこと。で、追放された官僚はどこへ行くかって言うと…もともと彼らは地方の豪族出身だから、地方へ帰っていく。で、地方の権力者となって土地を独占するんですよ。そうすると地方の農民は、小作人や奴隷になって生活が苦しくなっていく。で、反乱が起こる。それが184年に起きた黄巾の乱張角という人が指導する太平道という秘密結社が起こした反乱だよ!

 

生徒:なるほど。漢を打倒するから今度は黄色なんですね!

 

しま:その通り!で、結局この乱は地方の豪族たちによって鎮圧されるんだけど、このことで地方の豪族がますます台頭してくるようになる!

 

生徒:おっ!いよいよ三国時代の幕開けですね!

 

しま:です!とりあえず今日は208年の赤壁の戦いだけ覚えてください!曹操vs劉備孫権連合軍との戦いです!華北を支配していた曹操が勝ってそのまま天下統一かと思われていたんだけど、この赤壁の戦い劉備孫権の連合軍が奇跡的に勝利するんです。そして天下は完全に3分!

 

生徒:で、曹操の子の曹丕が220年に魏を建国して、とりあえずここに後漢は滅亡…ってことですね!