No.16(発展)イスラーム帝国の形成
しま:750年。ウマイヤ朝はクーデタによって倒され、アッバース朝が誕生します。クーデタを起こしたのは、シーア派やマワーリーと呼ばれる“非アラブ人改宗者”でした。
生徒:ん?シーア派の人たちがウマイヤ朝に不満を持つのは前回の話で分かるんですけど、どうしてマワーリーが不満なん?
しま:じゃあその説明からしよう。ポイントは税制度だ。イスラームの税制はジズヤ(=人頭税)とハラージュ(=地税)がある。ウマイヤ朝の時代は、“アラブ人であれば”これらは両方免除されて、非アラブ人であればどちらも課された。
生徒:え!?イスラーム教に改宗しても!?
しま:そう!だから非アラブ人改宗者は不満だったわけ。さて、一方のアッバース朝はというと、ムスリムであればジズヤが免除されることになった。ハラージュは、土地所有者であれば誰もが納めることになった。
生徒:なるほど。アラブ人かどうかではなく、ムスリムかどうかが課税のポイントになったわけですね!
しま:その通り!正統カリフ時代やウマイヤ朝をアラブ帝国と呼ぶのに対し、アッバース朝はムスリムの平等を実現したからイスラーム帝国と呼ばれるんだ。
生徒:そんなアッバース朝について、今日は勉強していくんですね!
しま:そうです。まず建国者は<アブー=アルアッバース>。いい?750年に建国で…翌751年に何か大きな戦いがあったこと…覚えているかな?
生徒:え!?えっと…751年だと中国は…唐ですよね?えーと…分かった!タラス河畔の戦いだ!製紙法がイスラーム世界に伝播したやつ!
しま:それ!唐の将軍<高仙芝>が破れた戦いね!東西交流という点で重要だから覚えておこう!で、2代の<マンスール>の時代に、バグダードが造営されるんだ。今のイラクの首都だね。
生徒:全部濁点なんですね!ボボボーボ・ボーボボみたい。
しま:<マンスール>がバグダード造営…「マンホールで爆弾ドーン!」と覚えよう!
生徒:あ、別に大丈夫です。
しま:…そっか。で、アッバース朝全盛期と言えば何といってもこの人!5代<ハールーン゠アッラシード>[位786~809年]
生徒:あ!知ってます!『千夜一夜物語』に出てきますよね!
しま:よく知ってるね!でも、この人が亡くなると各地の総督(=アミール)が自立してくる。さぁ、イスラームが難しくなるのはこっからだよ!
生徒:ところで、アッバース朝に倒されたウマイヤ朝ってどうなってるんですか?
しま:実は、生き残った一族がイベリア半島まで6年がかりで逃げてきて、そこに後ウマイヤ朝[756~1031年]を建てたんだ。建国者は<アブド゠アッラフマーン1世>で、都はコルドバ。
生徒:簡単に言ってますけど、1万2千キロくらい歩いてますよね。やば。
しま:後ウマイヤ朝の全盛期は<アブド゠アッラフマーン3世>[位912~961年]です。彼は、ある理由から西カリフを自称するようになるんです。
生徒:ある理由?
しま:909年、シーア派急進のイスマーイール派の王朝であるファーティマ朝がチュニジアに誕生した。このファーティマ朝の君主は“アリーの子孫”と称し、建国当初から中カリフを自称し、アッバース朝のカリフ(東カリフ)の権威を否定したんです。当時チュニジアにあったアグラブ朝を倒し、モロッコのイドリース朝も倒し、エジプトにあったイフシード朝も倒すと、ファーティマ朝は969年に、ある都をエジプトにつくりました。
生徒:カイロですね。
しま:その通り。さて、同じく10世紀、西アジア(イラン・イラク)には、アッバース朝のアミールが自立する形でイラン系シーア派のブワイフ朝が誕生した。都はイスファハーン。このブワイフ朝は、946年にアッバース朝の都だったバグダードに入城すると、大アミールとして権力を掌握するようになる。
生徒:ってことは、アッバース朝は今、西にはカイロを都としたファーティマ朝、東にはイスファハーンを都としたブワイフ朝に挟まれているってことですね。しかもどっちもシーア派やん!
しま:そういうこと!あと、ブワイフ朝で覚えておきたいのは、イクター制を始めたこと。従来は、軍人や官僚に対して俸給(=アター)が支払われていたんだけど、中央集権が弱まると、その俸給の代わりに一定地区の徴税権(=イクター)を分与するようになった。つまり、自分の給料は自分で集めろ、と。
生徒:でも、悪いことして住民が居なくなっちゃったら収入が無くなっちゃうわけですから、なかなかおもしろい制度ですね。
しま:だね。さ、ラストですよ。ブワイフ朝とほぼ同時期、10世紀の中央アジアにはイラン系スンナ派のサーマーン朝もありました。首都はブハラです。そのさらに東にはカラ゠ハン朝という王朝があった。これが、なんとトルコ系なんです。トルコ系初のイスラーム王朝は?と聞かれたら「カラ゠ハン朝」と答えられるようにしましょう。今日はここまで!