読む世界史

書き残そう、世界の歴史の物語

No.21(東)隋

しま:小野妹子が男だって♪僕は今気付く♪勘違いだってディスティニー♪

 

生徒:なんすか、その曲。

 

しま:え?知らないの?レキシの『妹子なぅ』だよ。

 

生徒:いや、知らないでしょ。…あ、でも、いい曲。

 

しま:じゃあ今日はこの曲を聴きながら、小野妹子が訪れた“隋”について勉強していこう!さて、北周外戚だった楊堅(ようけん)が帝位を譲り受け、建国したのが隋[581年~]です!彼は鮮卑族だといわれている。

 

生徒:あれ?隋の都が大興城(旧、長安の郊外)となっていますが、これってどういう意味ですか?

 

しま:これまでの長安の近くに、新たに建てた都が大興城です!つまりはNEW長安です。それが隋の時代には大興城と呼ばれていたわけです。次の唐の時代には、ここが長安と呼ばれますよ。

 

生徒:なるほど!

 

しま:さて、隋の建国者楊堅は、諡号では文帝です。隋で登場する皇帝は、この文帝と次の煬帝の2人だけなので、それぞれの皇帝の業績を追う形で、確認していきましょう!まず、楊堅(文帝)は、581年に禅譲で即位した後、突厥を討伐します。突厥はこれで東西分裂。その勢いのまま589年、南朝最後の陳を征服し、南北朝を統一。長かった分裂時代を終わらせ、中国再統一を果たしました。内政としては、598年に科挙を始めたことを何が何でも絶対に覚えておいてください!

 

生徒:科挙!聞いたことあります!官僚を選ぶための儒学の試験ですよね!

 

しま:その通り!とりあえず今はその知識だけで十分!以上、楊堅の業績でした!次は2代の煬帝!この人は楊堅の息子さんです。

 

生徒:…あれ??先生ちょっと待ってください。漢字間違ってませんか?

 

しま:良いところに気付いたね!実はこの煬帝、本名は楊広というんですが、父親と兄を殺して即位した上、いろいろと民衆を虐げたたために、“煬”という縁起の悪~い漢字を付けられてしまったんです。ちなみに、煬帝の読みは「ようてい」ではなく「ようだい」ね。

 

生徒:どんな風にしくじったんですか!?

 

しま:何といっても3度にわたる高句麗遠征の失敗。これがチョー痛かった!(ちなみに、高句麗を征服したのは唐の3代の高宗です)。他にも大運河の開削工事で、たくさんの人員を徴発し…まぁ戦争やら土木工事やらで、人々はくったくったになったんですよ。

 

生徒:それで、各地で反乱が起きて618年に隋滅亡…ということですね。

 

しま:その通り。ただ運河に関しては、それまで中国に無かった南北を繋ぐ経済の大動脈として以後の社会には欠かせないものとなります。この後の唐の繁栄は、この運河のおかげといっても過言じゃない!

 

生徒:そうですよね。中国って東西には大河が流れてるけど、南北には無いですもんね!ちなみにこれ5本全部覚えた方が良いんですか…?

 

しま:きついよね…。盲点になるのは、黄河~涿郡を結んだ永済渠かな。涿郡ってのは今の北京で、ここから高句麗を攻めるために、武器や食糧を運ぶ必要があったんだ。

 

生徒:でも、そこまでしても結局、高句麗遠征は失敗しちゃうんですもんね…

 

しま:そう。さて、618年に隋の将軍だった李淵によって建国されたのが唐です。って…あっという間に隋が滅んじゃったけど、ちょっとだけ時間を巻き戻して遣隋使の話をしておこう!607年、小野妹子が遣隋使として中国に渡った時の皇帝が煬帝ね。実はこの時、煬帝は国書のある文章を読んで激おこしちゃうんだけど…国書になんて書いてあったか知ってる?

 

生徒:中学で勉強しました!確か「日出処天子至書日没処天子…」ですよね!?それで、「日が没するところとは何事だー!」みたいな。

 

しま:おぉ、素晴らしい!でもそれじゃ中学生レベルだ。みんなは“世界史選択者”として、レベルアップを目指そう。煬帝が怒った理由として、当時中国皇帝にしか使用されていなかった「天子」という言葉を日本も使ったことがある。中華思想からすれば、周辺民族は中国よりも下。あくまでも中国を慕ってやってくる存在でなければならないんです。同格扱いなんて有り得ないよね!

 

生徒:…でも先生。そもそも、「日が沈む」とか「日が昇る」って、東西を意識しているわけですよね?それって、その中間に居る人間から見た視点ってことになりませんか?もしかしてこの文章、倭国と隋のあいだに居た人物が考えたんじゃないですか??例えば…高句麗が、倭国と隋の挟み撃ちを避けるため、とか!

 

しま:そうそう!わずか数行の国書から、当時の国際関係が読みとれるなんて面白いよね!じゃあ、最後に隋の制度を見ておしまいにしよう!北魏時代から徐々に整備されてきた国家制度が隋の時代に実を結んだと考えてね。

 

生徒:はい!

 

しま:均田制によって国から土地を支給される農民を均田農民といいます。均田農民は土地を支給されるかわりに、国家に租庸調を納める。租は穀物、庸は徭役(一年のうち一定期間政府に労働奉仕)、調は特産物。さらに均田農民には兵役がある。均田農民によって編成される兵制を府兵制と言います!ただし、徴兵されれば租庸調は免除!というわけで、均田制と租庸調制・府兵制はセットで実施される制度です。これによって、王朝は豪族に頼ることなく、直接農民を把握し、軍事力を手に入れることができたわけです!

 

生徒:なるほど!セットで覚えろってことですね!

 

しま:ちなみに、この頃中国北方にはトルコ系遊牧民突厥という人たちがいる。モンゴル系の柔然を破ったことや、突厥文字という遊牧民初の文字を持っていたことがポイントだね。ちなみにこれはオルホン碑文から解読されたんだよ!2013年には、もっと大きな碑文が発見されて、注目を浴びています!

 

生徒:石人(せきじん)なんかゆるキャラみたいでかわいいですね。

 

しま:あ、そろそろ『妹子なぅ』が終わる!…踊ろう~妹子が男だって♪泣いたりはしない♪

 

生徒:…あれ…そういえばこの曲…似ている曲があるような気がする…

 

しま:勘違いだって♪

 

 

Journey to the star(^^

 

 生徒:わかった!ゴダイゴの『銀河鉄道999』だ!

 

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