読む世界史

書き残そう、世界の歴史の物語

歴史総合No.8~イギリスに挑戦したナポレオン~

しま:記念すべき「歴史総合」初回のブログのテーマは、<ナポレオン=ボナパルト>です!彼についてちょっとだけ話しておこう。

生徒:世界史嫌いの僕でも、さすがにナポレオンは知ってますよ!あの白馬に乗ったカッコイイ人ですよね!

しま:ナポレオンを知らない人は居ないよね!ただ、この有名な「アルプスを越えるナポレオン」の絵って…ウソだって知ってた!?

「アルプスを越えるナポレオン」




生徒:えっ!?どういうことですか?加工!?エフェクト!?

しま:ないよ!TikTokじゃないんだから!こちらを見てください。これが実際のナポレオンに近いとされています。

 

もう1枚のナポレオン



生徒:えーーー!!!馬が白くない!!!

しま:いや、そこ!?あ、ちなみにこの動物、馬じゃなくてラバらしいよ。

生徒:ラバ!?本当だ、たしかになんかおとなしそう…。すっかり騙されていました。

しま:さて、ナポレオン=ボナパルトは1769年8月、コルシカ島で誕生します。コルシカ島は、フランスの領土に成り立てほやほやの島。そんな田舎で生まれたナポレオンが、フランス…いやヨーロッパ中を動かす存在になるんだから、世界史っておもしろい!

生徒:イタリアの西に2つ縦に並んでる島の北の方ですね!

しま:そう!さて、彼の家は決して裕福ではありませんでした。この時代、出世の近道は軍人になることだったので、ナポレオンはパリにある士官学校の”砲兵科”へ入学します。そして数年後、フランスで革命が起こる。これはナポレオンにとって大チャンスだった。

生徒:どうしてですか?

しま:貴族が亡命していくので実力があれば、どんどん出世できるからです!ナポレオンはジャコバン派に協力的な活動を行うと、みるみる出世していく…かと思った矢先に…クーデタが起こるんです。

生徒:クーデタが!?………クーデタってなんですか?

しま:武力で政権を奪うことだよ!恐怖政治をおこなっていたロベスピエール派が逮捕、処刑されたんだ。ロベスピエールを支持していたナポレオンも投獄され、再出発となります。それからは有力人のサロンを訪れ人脈を作る毎日…。そんな日々の中で出会ったのが、のちの奥さんジョゼフィーヌでした。

生徒:どんな偉人も、恋愛してるんですねぇ

しま:さて、ナポレオンはこの時作った人脈もあり、総裁政府のもとで、イタリア遠征軍の司令官に就任します!そして第1次イタリア遠征へ出発です!ここからがプリントNo.9だ!

生徒:先生…どうしてイタリアと戦ったんですか?

しま:イタリアと戦ったわけじゃないんだよ!フランスと国境を接するイタリア北部は、当時フランスの敵であるオーストリアが支配していたんだ。だからイタリア遠征というのはオースオリアを倒しにいったってこと。これに成功し、オーストリアと条約を締結します。第1回対仏大同盟を結成していたオーストリアと条約を結んだから、これで第1回対仏大同盟は解消。さて、勢いそのままに、ナポレオンは次にエジプト遠征を決定します。

生徒:…どうしてエジプトへ行ったんですか?

しま:フランスの敵は常にイギリスだ。そんなイギリス最大の貿易相手国がインド。イギリスとインドを結んでごらん?中継地点がエジプトだってことがわかるね。

 

生徒:ナポレオンは、イギリスとインドとの連携を断とうとしたわけか。

 

しま:その通り。あと、これは覚えておいて欲しいんだけど、ナポレオンって陸での戦いには強いけど海での戦いは勝てないんです。このアブキール湾の戦いで活躍したイギリス提督<ネルソン>という男、軍人ナポレオンにとっての最大のライバルですから、覚えておきましょう。さて、このナポレオンのエジプト遠征などの軍事的進出に対してイギリスなどが結成したのが第2回対仏大同盟だ。

 

生徒:ナポレオン、ピンチっぽいですね。

 

しま:なんとかエジプトを脱出したナポレオンは、フランスに戻り、1799年、ブリュメール18日のクーデタで総裁政府を倒します。そして新たに統領政府を樹立します!

生徒:先生!総裁政府には5人の総裁が居ましたけど、今回は何人ですか?

しま:3人です。ただし!ナポレオンが第一統領という地位に就く。要は、一番偉い!ってこと。他の2人はナポレオンに従うから、事実上ナポレオンによる軍事独裁が始まったと考えてください。

生徒:なるほど!他の2人はパシリみたいなもんですね!フランスパン買ってこーい!みたいな。

しま:さて、内政改革で外せないのが「ナポレオン法典」の制定です!柱は「所有権の不可侵・契約の自由・家族(家父長権)の尊重」。ちなみにこの法典が重要だって言っているのは俺じゃない。ナポレオン本人なんだよ。それがコチラ

「余の真の栄誉は40回の戦いの勝利ではなく、永久に生きる余の民法典である。」

生徒:本当だ。自分で言ってる…。ちゃっかり戦争の勝利も自慢してるけど…

しま:どうしてこれが重要なのか。彼はこの法典の中で、「フランス国家は、国民の私有財産を決して没収しません。差別もしません。信仰は自由です。」と、現実的なことを唱えていく。つまり、フランス革命の成果を明記し、保障したんですよ!

生徒:今の常識から見れば当たり前のことですけど、きっと当たり前だからこそすごいんですよね。

しま:そう。200年以上も前のことだからね。とにかくこの法典で、ナポレオンはジャコバン派の改革によって土地を得ていた自作農たちから強く支持されます。そして人気が高まってきたところで、いよいよ皇帝の座に就くのです!

生徒:1804年、ノートルダム大聖堂での戴冠ですね!

ナポレオンの戴冠式

 

ナポレオンの戴冠

 

しま:ナポレオンの戴冠式を描いたダヴィドの絵とそのデッサンです。ナポレオンの後ろに座っているのがローマ教皇ピウス7世。これ、予定ではローマ教皇から皇帝の冠を授けてもらう段取りだったんですけど、いざ戴冠式になるとデッサンのようにナポレオンは自分の手で冠を載せたんです。

生徒:あらら…緊張して間違えちゃったんですね!

しま:いや違うわ!あえてだよあえて!ローマ教皇の力ではなく、自分の力で皇帝になったんだぞ!というアピールだから!で、ここから第一帝政開始です。以後、ナポレオン=ボナパルトではなく、ナポレオン1世と呼びましょう。さて、ポイントは国民投票によって皇帝に即位したというところ。無理やりじゃなくて、国民に選ばれた独裁者ですから、もう誰にも止めることはできません!これは脅威ですね。早速ナポレオンの最大のライバルであるイギリスの小ピットという人が、第3回対仏大同盟を結成します!

生徒:今度はナポレオンの外政ですね。まずはフランスの宿敵であるイギリスへの上陸作戦から。えっと、たしか…ライオン…ハイエナ…タイガー…

しま:いや、トラね!1805年10月、トラファルガーの海戦!フランス艦隊はぼろ負けです。イギリスの司令官はさっきのアブキール湾の戦いと同じくネルソン提督だ。この人がすごいのは、戦闘中に常にデッキの上に立っているところ。司令官自ら最前線に立っているんだから、そりゃ部下の士気は高まりますわな!

生徒:ですね!でも、危なくないですか?

しま:いや、ちょーーー危ないですよ。実際ネルソンはこの戦いで死んでしまう…。

生徒:でも、英雄ですよね。そんなカッコイイ死に方をしたら。

しま:ですね。さて、戦争で勝ち続けることがナポレオンの人気を保つ条件です。何とかこの敗戦を帳消しにするくらいの大勝利をおさめなければなりません。ということで、イギリスへの上陸作戦は諦め、大陸制覇へと舵を取り、オーストリアに出撃します。海はダメでも、陸ならいけるぞナポレオン!

生徒:先生!この大陸封鎖令ってなんですか?

 

しま:イギリスに経済的なダメージを与えるための、貿易禁止令だね。1806年、プロイセンの首都ベルリンに入ったナポレオンが出しました(=ベルリン勅令)。でも、これをロシアが勝手に破っちゃうんですよー!

生徒:先生!大陸、封鎖できません!!!

しま:これを放置していては、ナポレオンのメンツは丸つぶれ。1812年6月、ナポレオンはロシア遠征を開始する!兵士はなんと60万人!…しかし、この時はまだ、このロシア遠征がナポレオン没落のきっかけになるとは誰も思っていなかったのでした…。

生徒:ど…どうなったんですか…

しま:ナポレオンの予想以上にロシアの冬は早く、そして寒かった…。初夏に遠征を開始したフランス軍は、冬の装備が万全じゃない。軍服のボタンは温度の低下で砕け、極寒の中、服のボタンもとめられない…。そして物資は全て、退却していくロシア軍に焼き払われ手に入れることができない…。結局12月にロシアから帰還した兵士はわずか5千人でした…。

生徒:大失敗や。

しま:そして、ナポレオンにとどめを刺したのが1813年のライプツィヒの戦いです。別名、諸国民戦争。連合軍の主力は、ロシア、オーストリア、そして改革を経て強くなったプロイセンでした。

生徒:おぉ。プロイセン改革の成果がここに表れてくるのか!

しま:この敗北でナポレオンは流刑。流されたのはエルバ島。代わりに即位したのは、革命で処刑されたルイ16世の弟、ルイ18世!よってここにブルボン朝復古王政スタートです。

生徒:革命の前に戻っちゃうんですか??

しま:そのへんをどうするか、ウィーンで話し合っていたんですが、これがなかなかまとまらないんです。その隙を見て、ナポレオンはエルバ島を脱出し、1815年3月、パリに帰還!再び皇帝の座に返り咲きます。

生徒:まさかの復位ですか!

しま:これにはすぐに、ウェリントン率いるイギリス、そしてプロイセンなどの連合軍が立ち上がった。それが1815年6月のワーテルローの戦い。この敗北で、ナポレオンは再び退位(=百日天下)。またまた流刑。前回のエルバ島はフランスから近かったので、今度は大西洋の孤島セントへレナ島へ流されていきましたとさ。おしまい。

生徒:先生!一個忘れてますよ!スペインの反乱!

しま:おっと、そうでした!えっと、最初にフランス支配に抵抗をはじめたのがスペインです。1808年~14年まで。スペイン国王はナポレオンのお兄さんであるジョゼフ!このジョゼフに対して、一般市民が抵抗した。その反乱軍を処刑する様子を描いた作品が、ゴヤの「1808年5月3日」です。結局最後までナポレオンは、この反乱を鎮めることができませんでした。

1808年5月3日

しま:両手を大きく広げる中心人物の男をよーく見ると、手のひらに穴が開いている。これは十字架に打ちつけられたイエス゠キリストの聖痕だ。この絵にはゴヤの祈りが込められている。

 

生徒:スペイン国民に神のご加護がありますように…ということですね。