読む世界史

書き残そう、世界の歴史の物語

No.11(西)軍人皇帝時代から専制君主政へ

しま:さて、「3世紀の危機」が今日のテーマです!

 

生徒:え?危機??五賢帝の時代[96年~180年]にあれだけ領土を拡大したのに、もう危機なんすか!?

 

しま:広げ過ぎちゃったんだよなぁ。領土が広がるってことは、国境線も広がるってこと。国境線が広がるってことは、そこに置く軍隊も増えるってこと。軍隊が増えるってことは人もお金もかかるってこと。つまり国は財政難に陥るってこと…

 

生徒:なるほど。でも、それなら税金増やせばいいじゃないですか!

 

しま:手っ取り早いね!時の皇帝、お風呂大好きカラカラ帝は、税収アップを狙ってアントニヌス勅令を出した[212年]。内容は、ローマ帝国領内の全自由民にローマ市民権を与える!というもの。

 

生徒:ローマ市民としてのステータスと引き換えに、税金を払え!というわけですね。あれ?でもなんで“カラカラ帝”なのに“アントニヌス勅令”?

 

しま:カラカラってのは、本名じゃなくてあだ名なんです。いつも、カラカラっていうフード付きバスローブを好んで着てたからカラカラ帝!さて、ローマはこっから軍人皇帝時代[235~284年]に入っていく!帝国各地に駐留する軍隊が、それぞれ自分たちの皇帝を擁立して激しく抗争する時代!

 

生徒:国境線に拡がっていた軍隊が、もはや自立しちゃうんですね。

 

しま:なんと、50年の間に26人もの皇帝が登場します!しかも、そのうち自然死はたったの2人!あとはみんな暗殺やら戦死やら落雷やら…。

 

生徒:え!?落雷!?どんだけめまぐるしいんですか…。日本なんて平成だけでも17人しか総理大臣が出てないっていうのに…

 

しま:いや、それもどんだけ!ただし、軍人皇帝は2人だけ覚えておけば大丈夫です。1人は初代のマクシミヌス。もう1人はササン朝のシャープール1世との戦いに敗れて捕虜となったウァレリアヌス!

 

生徒:え、“軍人皇帝”なんてかっこいい名前のくせして捕虜になったんすか!?え、だっさ。

 

しま:その戦いをエデッサの戦い[260年]という…知ってただろ!まぁいいや。さて、皇帝がこんなんでいいと思う?…良くないよな!?だって、東にササン朝、北にゲルマン人が迫ってるんだぞ!戦うためには強い皇帝が必要!と、いうわけで、満を持して強い権力を持った皇帝の登場だ!

 

生徒:あ!もしやここからがドミナトゥス(=専制君主政)の始まりですね!ローマ帝政の後半期だ!

 

しま:その通り!さて、ドミナトゥスの最初はディオクレティアヌス帝。彼は広くなり過ぎた帝国を東西に2つに分けることにした。そしてそれぞれを正帝と副帝で統治する。この制度を四帝分治(四分統治)と言います!テトラルキアね!

 

生徒:あれ?テトラルキアのテトラって、テトラポットのテトラ?

 

しま:同じです!テトラはギリシア語で4って意味!さて、ディオクレティアヌスは言うわけですよ。

 

「俺は神だから、俺を崇拝しろ。」ってね。

 

生徒:そんなこと言ったってキリスト教徒の人からすれば「いや、お前は神じゃないだろ。」ってなりません?

 

しま:もちろん。だからディオクレティアヌスキリスト教徒を迫害した。

 

生徒:おぉ…でも…これで強いローマの復活ですね!

 

しま:と、思いきやそんなことも無かった。皇帝が思っている以上にキリスト教は帝国各地に拡がっていたんだ。マイノリティなら迫害で対応できたかもしれない…でも、マジョリティであれば、むしろ迫害は敵を増やすことになる。さぁ考えて欲しい。次の皇帝はキリスト教徒とどう向き合ったらいいと思う?

 

生徒:迫害するんじゃなくてむしろ公認する!そしたら一気に味方になるし、国は安定!

 

しま:素晴らしい!全くその通りで(こっから超重要)コンスタンティヌス帝は313年にミラノ勅令でキリスト教を公認し、さらに325年にはニケーア公会議を開催して、アタナシウス派を正統なキリスト教として採用するんだ!ちなみにこの会議で異端とされたのがアリウス派で、ゲルマン人なんかはこのアリウス派だよ!

 

生徒:長く続いた迫害も、ここでひと段落ですね!

 

しま:さらに彼は帝国の都を東のビザンティウムへと遷し、そこをコンスタンティノープルと改称した!

 

生徒:どうして都を東へ??

 

しま:1つは、ササン朝と戦うため。もう1つは、オリエント風専制君主の伝統が残っていて、皇帝が崇拝される風土が整っているから!

 

生徒:なるほど!おっ、あと2人でローマ帝国分裂ですね!よしっ!ラストスパート!

 

しま:ユリアヌス帝は、ミトラ教を崇拝したので“背教者”と呼ばれています。以上!この頃、水がしみいるようにローマ領内に入ってきていたのがゲルマン人。そしてライン川ドナウ川を結んだラインよりも北東がゲルマン人の世界って決められていたのに、それを破っていっせいにローマ帝国へ流れ込んでくる!それが375年、ゲルマン民族大移動!

 

生徒:うわぁ!こういう時はキリスト教徒の団結力で乗り切るしかない!

 

しま:そう思ってテオドシウス帝はキリスト教の国教化[392年]を行った。すなわち、キリスト教以外の信仰を全面禁止にしたんだ。これにより、翌年にはオリンピアの祭典も廃止された。(なお、380年にはキリスト教信仰令を出しているが、この段階では異教信仰を禁止していたわけではない)

 

生徒:…結果は?

 

しま:時すでにお寿司!395年、ローマ帝国の東西分裂です。西の領地を継いだのが弟のホノリウス、東の領地を継いだのが兄のアルカディウス。どちらもテオドシウスの子どもね。

 

生徒:広い国を維持するには限界が来ていたわけですね…

 

しま:その後のローマはというと、西ローマ帝国は、476年“ゲルマン人傭兵隊長オドアケル”によって征服。

 

生徒:東ローマはけっこう長く続くみたいですね!

 

しま:そう!1453年、オスマン帝国のメフメト2世に滅ぼされるまで1000年以上も続く!ちなみに東ローマ帝国ビザンツ帝国とも言われるけど、これは東ローマの都であるコンスタンティノープルが、もともとビザンティウムと呼ばれていたことに由来するよ!