読む世界史

書き残そう、世界の歴史の物語

No.7(西)ローマ共和政

先生:さて、今日からイタリアのローマです。ローマは、もともとは小さな都市国家でした。ギリシアアテネに比べたら、200年くらい遅れていますね。ローマは前753年、インド=ヨーロッパ語族のラテン人(イタリア人の一派)によって建国されました。場所はティベル河畔(川のほとり)です。イタリア半島を長靴に例えると、ちょうど脛(すね)の真ん中あたりですね。ちなみに当時のイタリア半島には、ラテン人以外にも、地域毎でいろいろな民族が住んでいました。北にはエトルリア人。これ、イタリアの先住民ですが、民族系統不明です。そして南には植民活動を行っていたギリシア人。あと、イタリアのつま先の先の島、シチリア島の西には、フェニキア人が住んでいました。サルデーニャ島コルシカ島フェニキア人ね。

 

生徒:!?ちょっと先生!ひとセリフが長過ぎですよ!デスノートの後半みたいです!

 

しま:都市国家ローマは、エトルリア人の王に支配されました。これを前509年に追放して、ローマ共和政が始まります!ここからが今日のテーマです。確認だけど、王がいる政治制度が王政で、王がいないのが共和政だから。分かってるよね?そんくらい。

 

生徒:あれれ…なんか今日の先生、やけに塩対応じゃないですか…。

 

しま:別に。

 

実習生:あ、先生!!!プリントにローマ共和政の流れが図でまとめてあるんですね!これわっかりやすーーーい!

 

生徒:あ、教育実習生だ!

 

しま:そうそう!君は本当によく気づくなぁ!先生君のことは大好きだよ!うん!ローマの共和政は、プリントの図のようにポエニ戦争[前246~前146年]を境に大きく前半と後半に分けて考えるが大事なんだ!前半は、貴族と平民の身分闘争の時代!また、それと同時にローマがイタリア半島を統一していく時代です。

 

生徒:えっ…なにこの扱いの差…。実習生だけずるい…。

 

しま:さて、さっそく共和政の中身に入っていくわけだけど、ローマはエトルリア人の王を追放して以来、強烈な“独裁者アレルギー”だってこと、ちょっと頭の片隅に置いといてください。

 

生徒:“独裁者アレルギー”ですか…?

 

しま:共和政ローマで政治の主導権を握っていたのは元老院です。300人居るんですが、議員は終身。つまり1度なったら死ぬまで議員ってこと。例えて言うなら、部活のOB会みたいな。それが毎日部活を見に来るし、練習メニューも全部決めるし、試合の作戦も全部考える、みたいな。

 

生徒:なんすかそれ!そんなんじゃ現役部員はなんも言えないっすよ。

 

しま:そのなんも言えない現役部員が平民…って感じ!あと、政府の役職でトップに立っているのがコンスルです。執政官と訳されるけど、今風に言えば大統領かな!任期は一年で、2名います。2名にしているのは独裁政治にならないよう、お互いを牽制させるためです。ほら、“独裁者アレルギー”でしょ?

 

実習生:本当だ!でも、2人も居たら意見が合わなかった時に対応が遅れちゃいませんか?戦争とか非常事態だったら手遅れになりかねないんじゃ…

 

しま:鋭い!!!まさにその点を解決するために、ディクタトルという臨時の役職がある。これ、独裁官と訳します。

 

生徒:え!?ちょっと待ってくださいよ!独裁官って…アレルギーはどうしたんですか!

 

しま:ただし、このディクタトルの任期はたったの半年。決して半年以上は続けられない!独裁官だけど独裁者にはさせないのです!で、元老院議員もコンスルもディクタトルもみーんな貴族(=パトリキ)から選出。これに対して平民(=プレブス)たちが不満を持つようになります!

 

実習生:あれ、先生…それってアテネと全く同じ展開じゃ…

 

しま:そうなんだよ!全っく同じ!よく気付いたね!ローマでも平民が武器を自弁して重装歩兵として戦場に出る。でも政治的権利がない。ということで平民が貴族に対して参政権を要求する!

 

生徒:アテネとローマ、ごっちゃにならないようにしなきゃですね!

 

しま:事の発端は前494年に起きた聖山事件でした。平民たちが聖山という山に立てこもって従軍ストライキを起こすんです。国防の主力は平民ですから、ストライキをされると貴族は困っちゃう。ローマの貴族たちは平民会と護民官の設置を認めることで歩み寄りました。

 

生徒:はて、護民官とは??

 

しま:コンスルの政策に対して、それが平民の不利益になると判断すれば拒否権を発動することが出来る役職です!護民官がノーといえばコンスルは何もできません。これは2名置かれました!ちなみに、護民官に対しての物理的暴力は一切禁止です!

 

生徒:その後も少しずつ平民が権利を獲得していくわけですね!

 

しま:前450年には十二表法の制定。これ、慣習法の成文化です。貴族が独占していた法律を、誰もが分かるように公開したんです。

 

実習生:もしや、アテネのドラコンの立法みたいなものですか?

 

しま:そう。同じです!ってか元老院アテネ使節を派遣してドラコンの法を参考にしたくんですよ。続いて、前367年のリキニウス・セクスティウス法。これ、内容が2つあるんでどっちも覚えてください!1つは、コンスルのうち1名を平民から選出すること。もう1つは、大土地所有を制限すること。

 

生徒:大土地所有の制限ってのは、貧富の差の拡大を防ぐためですか?

 

しま:この場合は“平民と貴族の差”って考えてくれた方が適切かな!そして、極め付けが前287年、ホルテンシウス法です。いくら平民会で法を決めても、元老院の同意が無ければ認められなかったんだ。それが、ホルテンシウス法によって、単独で国法として認められるようになった。つまり、元老院と対等に立法が出来るようになったわけです!

 

生徒:立法機関が二つ!この段階で、ローマの身分闘争は終結して、いよいよ外に目が向けていくわけですね!

 

しま:ただし、ここで一つ注意!コンスルは、貴族と平民からそれぞれ一名ずつ選ぶし、立法権も平等にあるから、2つの身分は一見対等!…に見えるけど、実際はそんな単純ではありません!アテネでは貴族とか平民とか関係なく、全市民が参加する民会が国政の最高機関になったけど、ローマは“貴族は元老院で”“平民は平民会で”と、あくまで2つの議会があって、身分も分離したまま!そして、実質的に政治的な権力を握っているのは、元老院を中心とする金持ち貴族なんですよ!

 

生徒:法律上は平等になったけど、結局決め手は元老院なんですね。

 

しま:ところで、ローマはホルテンシウス法ができる以前より、徐々に対外政策を進めていました。そしてホルテンシウス法制定の15年後の前272年、半島南端にあるギリシア植民市のタレントゥムを陥落させてイタリア半島を統一します!

 

生徒:え、はやくないっすか。

 

しま:はやさの秘密は軍道にあり。“すべての道はローマに通ず”なんて言葉があるように、網の目のように張り巡らされた軍道が軍事物資をスピーディーに運ぶのです。とりあえずアッピア街道だけ覚えておけば大丈夫。さて、ローマの統治方法ですが、これが実に頭が良い。その名も分割統治!

 

実習生:分割統治?

 

生徒:なんですか?それ。

 

しま:うるせぇ。

 

生徒:えっ

 

実習生:教えてください先生!

 

しま:はーい、じゃあ教えてあげようね!ローマは制服した都市と条約を結ぶ時、都市毎でわざと!待遇を変えるんです。具体的には植民市・自治市・同盟市…と分けていて、植民市にはローマ市民権が与えられているのに、同盟市にはそれが与えられていない!つまり義務や権利にわざと差を付けてるんですよ!なんでこんなことをするかわかる!?

 

生徒:被征服都市間での利害を一致させないためですよね。それぞれがローマに不満を抱いても、都市間で団結しようという気は起きにくい。むしろ「なんであいつだけ優遇されているんだ。あいつむかつくぜ。」みたいに、敵意をそらすことができる。そうですよね?そしてそれを実感させるために、今日僕をわざと冷たくあしらって、教育実習生を褒めまくってたんですよね。さすがですよ先生。まんまとやられました。

 

しま:え?あ、そうそう。はーい。で、イタリア半島のつま先が蹴っ飛ばしている石、これがシチリア島です。ローマはここに勢力を伸ばそうと考えます。

 

生徒:ん?あれ…?

 

実習生:なぜシチリア島へ?

 

しま:それはここが一大穀物生産地だからだよ!ローマは人口が増えて食糧難になってる。しかもローマは、ブドウとかオリーヴとかの果樹栽培がメインだから、穀物の供給元を獲得したかったんです。ちなみに当時シチリア島カルタゴの勢力圏でした。カルタゴってのはフェニキア人が北アフリカにつくった植民市ね。ってわけでローマは、このカルタゴと戦争していくことになります!それがポエニ戦争[前264~前146年]というわけです。続きは明日やりましょう!

 

生徒:徹底した分割統治や…